ピート・シガーの訃報に

bearsmick2014-01-29

先日書いた、縁ある二人のミュージシャンの命日は、どうも28日だったようです。ほんと申し訳ないというか大丈夫か俺!ってな感じです。(苦笑)
ところが、今年の27日に亡くなったというアメリカのフォーク・ミュージシャン、ピート・シガーの訃報が届きました。ネットでもたくさんの友人知人が取り上げていたのですが、家で取っている地方紙にもその記事は出ていたので、やっぱり世界的にも有名なミュージシャンだったということが分かります。
ピ−ト・シガーは、ウッディ・ガスリー同様、リベラルな社会派フォーク・ミュージシャンの一人で、戦後のマッカーシズム時代の赤狩りでは辛酸をなめさせられた人でもありましたが、その姿勢は終生変わらず信頼に堪えるミュージシャンの一人だったと思います。
残念ながら僕は、ウッディ・ガスリーやジャック・エリオットのアルバムは持っているもののピート・シガーのアルバムは持っていませんでした。ただ彼が作った曲は、もちろん知っていますし、ギターを弾き始めた頃は、そんな歌(例えば「花はどこへ行ったの?」など)もつま弾き歌っていたものでした。
そんな訳なので、僕にとってのピート・シガーの思い出はそう多くないのですが、有名な1965年のニューポート・フォーク・フェスティヴァルの時のボブ・ディランのエレキ音楽に対しての反応「斧でシールド・ケーブルを切ろうとした」ことは、大きな記憶として残っていました。当然その場面の映像を観たと思っていたのですが、そのことをムロケンのFBにコメントを書いたら、ムロケンから「エピソードとしたら有名だけど映像としては残っていない」と指摘されました。(偶然なのでしょうが、ムロケンが近日発売されるアコースティック・ギター・マガジン誌に、その時代のことやピート・シガーのことなどを寄稿しているそうです。これは読まなければ!)
僕は、てっきりその映像を観たことがあると思っていたので、ニューポート・フォーク・フェスティヴァルを収めた「フェスティヴァル」(これがまた良い映画でした!)やボブ・ディランの「ニューポート・フォーク・フェスティヴァル1963〜1965」そして「ノー・ディレクション・ホーム」と立て続けに観たのですが、。「ノー・ディレクション・ホーム」には、ピート本人によるコメントはあったものの確かにその場面はありませんでした。
一体、僕は何処でその映像を観たと思っていたのでしょう?あまりに衝撃的なエピソードなので勝手に自分の脳内で映像化していたのでしょうか?(笑)
ともあれ、ピート・シガーが遺した歌や音楽、そしてその姿勢は、今後とも色褪せることは無いでしょう。1960年代にはザ・バーズが「ターン・ターン・ターン」を、そして今世紀に入ってからもブルース・スプリングスティーンが「ウィ・シャル・オーヴァーカム」を取り上げ、ロック世代にも伝えて行こうという意志を示しています。そもそもフォーク・ソングとは民衆の歌という意味です、そのフォームは変わって行こうとも、その中身は有効であり伝えて行かれるべきものだと思います。
残念ながら我が国では、フォークというと、ごく矮小化されたものに成り下がっている気がしますがね。