ジヨニー・オーティスさん、安らかに・・・

bearsmick2012-01-22

先日、ジョニー・オーティスが亡くなったと書いたら、その夜に友人から「エタ・ジェイムスも死んじゃったよ。」というメールが届きました。2人とももうそれなりの歳だったので、仕方ない部分もあるにせよ、好きなミュージシャンやシンガーが亡くなるのは、やっぱり寂しい事ではあります。彼らが残してくれた作品を聴きつつ冥福を祈りたいと思います。
ということで、今日はジョニー・オーティスのことを少しばかり・・・・。
ドンドンドン・ッドンドンのリズム(ボ・ディッドリー・ビートとかジャングル・ビートとか呼ばれています)を意識したのは、実は本家ボ・デッドリーのものでなく(後になってローリング・ストーンズやクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスといったバンドも60年代からそのリズムで演奏していた事に思い当たったわけですが)、ニュー・ライダーズ・オブ・パープル・セイジというジェリー・ガルシアがペダル・スティール奏者として参加していたカントリー・ロック・バンドのセカンド・アルバム「パワー・グライド」に入っていた「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」という曲でした。そしてその曲はジョニー・オーティスという黒人音楽が好きなギリシャアメリカ人の手によるものだということも知ったのでした。
我が国でも、今でも僕が一番好きなバンドである久保田麻琴と夕焼け楽団がいつもライヴで演っていて、尚一層好きになったものでした。そんな折、1971年に発売されていた2枚組のライヴ・アルバム「ライヴ・アット・モンテレィ!」を入手しました。

そのアルバムは、ジョニー・オーティス・ショー名儀で、ジョニー・オーティスを筆頭にエスター・フィリップスやビッグ・ジョー・ターナー、ピー・ウィー・クレイトンやエディー・クリーンヘッド・ヴィンソンといった錚々たる面子による楽しいライヴが収められたいました。R&Bやソウルのコンサートではよくあったようなんですが、シンガーがとっかえひっかえ出てくる、所謂レヴュー形式のコンサートの模様をパッケージしたものだったのですね。まだよく黒人音楽が分かっていなかったロック少年だった?僕にとって良い意味でR&Bの世界に導いてくれた作品の一つになりました。
その後、来日コンサートも楽しんだし、今でもたまに聴きたくなるジョニー・オーティス。アトランティック・レコードを作ったアーティガン兄弟といい、アメリカの黒人音楽に魅せられた白人たちの熱い思いは、その後の音楽業界にも影響を残したのだと思います。実際、彼の奥さんはアフロ・アメリカンらしく息子のギタリスト、シュギー・オーティス(先のレコードにも参加しています)は、ブラックですね。
亡くなったことは、残念ですが、彼が残した作品や業績は永遠です。これから先もまだまだ何回でも聴き続けると思います。安らかに眠って下さい。