エド&じゃがたらお春

bearsmick2010-12-19

ちょっと前のOTO(ex.JAGATARA、現サヨコオトナラ)の日記に、1979年のエドじゃがたらお春のライヴがCD化、発売されるということが書かれていました。で、早速その発売元でもあるD・Uに注文したのが今日届きました。特典としてヤギヤスオさんのジャケットの絵のポスターも付いています。余談ですが、ヤギヤスオさんとは面識もあるのですが、彼の書いた絵がジャケットに使われている作品は、例えば細野晴臣久保田麻琴ボ・ガンボスやレゲエなど僕も好きなものが多いです。
上馬にあったライヴ・ハウス「ガソリン・アレイ」でのライヴを収めたこのアルバム、メンバーは後のじゃがたら/JAGATARAとは違っているのですが(OTOはまだいないもののギターのEBBY,ベースのナベちゃんはいます。)、もうその時点でレゲエやニューオリンズR&B/ファンクを取り入れた黒っぽいグルーヴを醸し出しています。そしてその演奏力も高いものです。
先日もここで書いたように僕とエド君は大学のクラスメイトでした。(ライナーでは教育学部と書いてありましたが、文学部西洋史学科の間違いです。)同じ時代に生きて同じような音楽を聴いてきたはずなので、この時代にそんな音楽を志向することはよく分かります。大学に入りたての頃の彼のバンドの練習にはよく通っていたし、ライヴにも一緒に出たこともありました。その後、ちょっと交流が途絶えたのですが、このライヴの頃にも神泉か駒場東大前のビルの屋上にあった「じゃがたらスタジオ」には遊びに行ったことがありました。
その後、1980年代のパンク〜ニュー・ウェイヴの時代になって、過激なパフォーマンスで知られるようになったじゃがたらですが、その後はメンバーも増え充実、音楽で勝負する本格的なバンドになっていったのでした。80年代中期頃からのステージはたくさん観ました。その時はもう大きな会場でライヴを行ってましたし、S-ケン、ミュート・ビートトマトスと一緒に行っていたライヴ・パーティー「トーキョー・ソイ・ソース」はほんと楽しかったです。
残念なことにメジャー・デビューした後の1989年にエド・アケミ君は亡くなってしまったので、JAGATARAは永久保存されたのですが、今回OTOの監修の元、こうやってライヴ音源が発表されたとを嬉しく思います。そして一人でも多くの人に聴いてもらいたいものです。サザン・オールスターズや米米クラブとは一味も二時も違った当時の日本のロック/音楽を志向していたミュージシャンたちがいたこと、そしてけっこう素晴らしく面白いことをやっていたことが分かると思います。贔屓目なしでほんと演奏力もあるし、なんといっても良いセンスしているのです。
まだ読んでいないのですが、8人の著者による35ページに渡る「2010年のじゃがたら」と名づけられたブックレットも付いています。この不景気な2010年の年末に貰った嬉しいプレゼントのような気がするこのCDです。