グレイトフル・デッドが教えてくれたもの

bearsmick2010-06-17

最近の天気予報は良く当たるようになりました。昨日の快晴とはうって変わって今日はしっかり梅雨の空です。湿度も高く家の中にいてもジワジワと汗が吹き出てきます。ほんと鬱陶しくて嫌なのですが、これを乗り切ると活動的な夏(でもクソ暑いとブー垂れたりするんでしょうね。笑)が来る訳で、四季があるありがたさや美しさを想い我慢して乗り切るしかありませんね。
ネット上でちょっと話題に上がっていた本で「ヴィジョン・クエスト」というのがありました。僕と同じグレイトフル・デッドが好きになり影響を受けた著者の田中和貴さんという人(もちろん僕はお会いしたことはありません)の現在に至る生き方を模索した青春記とも旅行記(トリップ記)とも取れるなかなか面白い本で、人間の成長記としても「人間は何処から来て、何処へ行くのか?」といった永遠の命題への個人的な試みと読むことも出来ます。
あらかじめ敷かれたレールの上を走ることに疑問を持った人が、旅をすることで人生の意味を模索するというのは今に始まったことではありませんが、その最初のきっかけがアメリカでのグレイトフル・デッドのコンサート体験というのが、興味を引いたので本屋さんに取り寄せてもらって読んでみたのでした。
僕自身、何をやって良いか分からなくて、スケールはずっと小さいですがウロウロ・チョロチョロしてきたので田中さんの情況は、少しは理解できます。もっとも今尚自分のことはよく分かってないように思いますが。(笑)
彼の言葉に「グレイトフル・デッドの精神を自分なりに受け継いでいく。」とあったのですが、個人個人それぞれ違うとは思うものの、確かにその精神はあると思います。グレイトフル・デッドが他のロック・バンドと違うところは、新しい価値観(1960年代のカウンター・カルチャー/ヒッピー・ムーヴメント)に基づいた生き方ややり方を続けてきたことだと思います。もちろんそれが必ずしも正解だったかどうかは別なのですが。
僕もそんな気持ちを持って、ベアーズ・カフェというしがない飲食店を細々と営んでいる訳ですが、「人それぞれの人生を楽しみながら生きていく」という生き方(もちろんそれには自己責任を伴う訳ですが)を選んだのは間違っていなかったと思います。というか、思えて死んでいけたらと思っています。(笑)
そんなグレイトフル・デッドの精神を現在の日本で具現化しよう?というようなイベント「OSHINO DEAD」が今年も7月23〜25日の3日間静岡県富士宮市朝霧高原「ふもとっぱら」で行われます。残念ながら今回も僕は参加出来ないのですが、いつの日か参加出来るようになりたいものです。
毎回素敵なフライヤー、ポスターが送られてきます。スタッフをはじめ関係者のグレイトフル・デッドの精神への愛情を見る思いがします。

参加した人のレポート、そして演奏された音源を楽しみにしています。そうそう今年の目玉は、あの「めんたんぴん」(1970年代中期に活躍した僕も好きなバンド)の再結成ステージらしいです。