民衆の歌、人々の歌

bearsmick2010-03-07

「・・・ねばならない。」が苦手な僕は、相変らずの現実逃避の毎日を送っているのですが、そうはいっても「・・・ねばならない。」の期日は否応なしに迫ってきます。
とりあえず今回の確定申告は、意外と早くから手を付けていたのでなんなく終わらせることが出来たのですが、これは昨年あまりにも悲惨な経営状況だったからかも。(苦笑)
そんな中、気を紛らわせるのと気分転換、そしてもちろん興味を持って読んできた「フォーク・シティ」を読み終わりました。先の「グリニッジ・ヴィレッジの青春」と共にちょっとレヴューを書かないとたけさんに悪いかな。(笑)
フォーク・ソングというと、それこそ人によってのイメージは色々あるのでしょうが、我が国でのフォークのイメージにはちょっと勘弁願って、ここは文字通り「民衆の(人々の)歌」という意味で使いたいと思います。
イタリア移民の子供で、社会主義者の家庭に育ったボブ・ディランのガール・フレンドであった「グリニッジ・ヴィレッジの青春」の著者スーザン・ロトロ、彼女たちのことが「赤いおむつの子供」と呼ばれていたのは初めて知りました。悪名高きマッカシーズムの「赤狩り」によって多数の文化人たちがその活動の場を奪われたのは、アメリカの歴史の事実であり、恥ずべきことなのですが、当時のフォークは社会批評や時事問題の提起といった側面も持っていたのでピート・シガーといったミュージシャンたちもその場を奪われていたのでした。
ディランがニューヨーク/グリニッジ・ヴィレッジのやって来た60年代初頭は、そんな中から公民権運動などが広がりを見せはじめその後のベトナム戦争反対/反戦運動に繋がる時期でした。ディランは多分ウッディ・ガスリーに憧れてフォーク・シンガーになりたかったのでしょうが、グリニッジ・ヴィレッジに集う同じ世代のスーザン・ロトロたちに相当影響を受けたんだと思います。そんな感受性豊かでアーティスティックなやりとり(もちろん恋愛感情も含めてですが。)が描かれています。それにしてもまだハイティーンだったスーザンの早熟さは・・・、やっぱり都会っ子には敵わないということでしょうか!?恥ずかしながら自分の若い頃を思い出したりして・・・。(笑)
自分を表現するためにグリニッジ・ヴィレッジを目指したたくさんのシンガー・ソングライターたち、時代が移ろうとも自分たちや民衆の歌を作り歌うということが本当の意味で「フォーク・ソング」だということが「フォーク・シティ」を読んで納得できました。60年代を過ぎ、70年代80年代と移り変わっていってもそこで活動、評価されたミュージシャンたちには、そんなナニカがあったのでしょう。そういえば、パンク・ニューウェイヴの時代に僕が好きだったテレヴィジョンやトーキング・ヘッズなどもそんなグリニッジ・ヴィレッジ界隈から出てきたそうです。
時代の意匠や衣装が変わっても、そうそう人間の中身は変わらない、やっぱりソウルやハートが大事なんだと、当たり前のことを確認した次第です。そして僕もベアーズ・カフェというそんな文化の最後の尻尾にぶら下がって生きている幸せを実感しました。
音楽に興味を持っている人は、読んでも損はないと思います。が、両方とも450ページ位ある厚い本だし、お値段も¥3000以上するってのが難だなぁ!(笑)