加藤和彦さん

bearsmick2009-10-17

ネット上で加藤和彦さんの死を知りました。たくさんの友人たちが彼らのWEB日記で取上げて哀悼の意を表していました。
もちろん僕も、デビュー作であるフォーク・クルセーダーズの「帰ってきたヨッパライ」はリアル・タイムでラジオの深夜放送で聴きました。そして東芝から出たシングル盤は持っています。TVに出演しているフォーク・クルセーダーズも観た覚えもありますし、解散後ソロで活動していた加藤和彦さんのライヴ・パフォーマンス、特にヤング720(朝の7時20分からやっていた若者向けヴァラエティーTV番組。これを観たいが為補習授業をサボっていたものでした。笑)でのドノヴァンのカヴァー「ラレーニャ」は強く印象に残っています。
フォーク・クルセーダーズ時代からそのポップ・センスや音楽センスが光っていた加藤さんでしたが、当時の奥さんのミカさんをメインに立ててのバンド「サディスティック・ミカ・バンド」(ジョン・レノンプラスティック・オノ・バンドへのオマージュかパロディなんでしょうね。笑)の登場には、ビックリした共に嬉しいものでした。
当時、流行っていたTレックスなどのグラム・ロックを軽く取り入れたキャッチーな「サイクリング・ブギ」や「お花見ブギ」でデビューした後、レゲエやファンクをも吸収、再生産した軽やかな活動は、当時の日本では珍しいものでした。更にはイギリスでも活動してそれなりの成果を収めたのですからたいしたものです。
実は、先日取上げたザ・バンド同様、意識してファンだと思っていなかったのですが、オリジナル・サディスティック・ミカ・バンドの作品はLP、CDを合わせると多分全て持っているのです。更にベスト・アルバムもLP、CD共に持っていたりするので、これまた立派なファンだったといえるのかもしれません。(笑)ただ、残念なことにライヴはそんなに観たことがありませんが。
その後、加藤和彦さんとミカさんは離婚して、バンドは解散したのですが、残りのメンバーはサディスティックスとして活動を続けてクロス・オーバー〜フュージョンの世界で活躍したものでした。高橋ユキヒロ、小原礼後藤次利高中正義といったミュージシャンを擁したサディスティック・ミカ・バンドのメンバーたちは、その後、細野晴臣人脈のミュージシャンとも交じり合い我が国の音楽業界に大きな足跡を残すことになります。
さてソロとなった加藤さんは、作詞家でもある安井かずみという新しい伴侶を得て新しい活動を始めて、アメリカ南部マッスル・ショールズで製作された「それから先にことは」という素晴らしい作品を発表されたり、その後も「パパ・ヘミングウェイ」「うたかたのオペラ」といった作品で僕らを楽しませてくれたものでした。
そして何よりお洒落でセンシティヴなそのライフ・スタイルが、バブル期の日本でも際立って影響力を持っていたかもしれません。(笑)
実際に面識があったわけでもないのですが、どこかで加藤さんのセンスを信じる気持ちを持っていたのは事実です。先日この日記でも取上げたアルフィの坂崎幸之助とのユニット「和幸」も楽しめたし、まだまだこれからも素敵な音楽を作ってもらいたかった加藤和彦さん、残念ながらの訃報です。
先立たれた安井かずみさんを追うかのような自殺ということもあって、これまた好きだった西岡恭蔵さんのことも頭をよぎりました。他人には計り知れないよほどの理由があるのでしょうが、やっぱり辛いです。
ともあれご冥福をお祈りします。