友部正人さん

bearsmick2007-10-10

昨日は、受験当時の話だったんですが。今日もまた当時の思い出に関係する話です。
大学受験ということで、さすがの僕も深夜放送を聴きながらですが受験勉強をしていました。おねだりして買ってもらったモジュラー・ステレオ(今で言うミニ・コンポのようなもの、当時のステレオはとても高いものでした。)にヘッドフォンを突っ込んでラジオを聴いていた訳ですが、ちゃんと入るのはNHKとRKKくらいのもので、「若いこだま」や「オールナイト・ニッポン」といった番組を聴いていたものです。
ですが、どうも自分のお気に入りの音楽はなかなかかかりません。友人たちとの情報交換によると、どうも他の放送局の番組には、面白ろそうなものがあるというコトのようです。ということでチューニング・ダイアルを回してピーピー・ガーガー言わせながら関東や関西の深夜ラジオを聴くようになりました。雨の日は入りが良かったような記憶があるのですが、どうでしょう?
その中に大阪の毎日放送だったでしょうか、加川良山本コータロー、若林純夫さんといったフォーク・シンガーがDJをしている番組がありました。そこでは当時の最新型のロックやフォークが聴くことが出来て、海の向こうの出来事なども情報として流されていたものです。田舎に住む音楽好きな少年は、もうそれだけで深夜起きているモチベーションになります。そのついでに勉強していたようなものでした。(笑)
中学時代には、もうボブ・ディランが好きになっていたのですが、欧米でも日本でも、〜のボブ・ディランと称されるシンガー/ミュージシャンがたくさん登場して来ました。当時の我が国でも影響力は大きくて、例えば吉田拓郎は、モロにディランをまねた歌も歌っていましたし(拓郎がやっていた深夜放送もあって、その中でディランの歌をソックリに歌っていたのも覚えています。)、曲作りにもその影響は伺えたものでした。初期の拓郎は僕も好きでLPも買ったくらいですが、受験をすぐに控えた72年の1月か2月に加川良の番組で「日本のボブ・ディランを聴こうと思って吉田拓郎を聴いているアナタに捧げます。」と言ってかけられた曲にショックを受けたのでした。
その曲こそ、友部正人さんの「大阪へやって来た」という歌で、今まで聴いたことがないようなディランだけどディランじゃない、オリジナリティがある日本語の歌に打ちのめされた僕は、早速翌日にはS楽器店に行って、URCレコードから発表されたばかりのそのLPを注文したものでした。
その後、東京で生活をするようになった僕は、何回かコンサートでも実際に友部さんを見聞きするようにもなったのですが、次第に興味が他に向いたりしたものの、いつでも僕の音楽に接するにあたってのスタンダードになっています。1980年代中頃に青山でやっていたサル・パラダイスという店での「ビートニク」のイベントで友部さんに歌ってもらったこともありました。
現在もニューヨークと日本を行き来しながら、バリバリの現役である友部さんですが、その時代時代で若手のバンドとコラボレーションした活動をなさっているのも、なんか信用出来るところでもあります。
なんと今夜は、その友部さんが「ベアーズ・カフェに行ってみたい。」とのことで、昨夜は熊本で一緒にライヴを行っていた風太郎君と一緒に来てくれたのです。ライヴをやりに来るのではなくて、単に遊びに来てくれる、それもまたファンにとってはありがたくも嬉しいことです。
ということで、夕方早めに人吉に着いた2人と一緒に温泉へ行き、開店まではいつもの「茶びん」のビール&餃子で楽しい時間を過ごしました。店に来てからは「ウッドストック」のDVDなどを観ながら、ユッタリとした時間を過ごしてもらったのですが、ベアーズ・カフェを気に入ってもらえたのでしょうか。
一方、風太郎君は「球磨ロック」にもベアーズ・カフェでのライヴにももう何回も来てくれているので、知っているHさんに捕まって(笑)、果てしなく続く会話で大いに盛り上がっていました。
今夜はウチにお泊り頂いたのですが、とても落ち着いたマイ・ペースな感じの友部さんでした。次回は是非、歌いに来てもらいたいものです。

同じ歳だという友部さんとトビさん。ミュージシャン同志、話も弾んでいたようです。

とてつもなく元気なHさんに拉致された風太郎君。(笑)
 
リアルタイムで入手したLP「大阪へやって来た」と2枚目「にんじん」。もちろん、今日の日付を入れてサインしてもらいました。「にんじん」には名曲「一本道」が収録されています。僕の大好きな歌です。次回は是非、生で聴きたいものです。