練習のはずだったのに

bearsmick2007-07-15

基本的に日曜日が定休日のベアーズ・カフェですが、日・月と連休の時は日曜日を営業して月曜日をお休みしています。
台風一過とはいえ普段休んでいる日曜日なので、そんなに早くからお客さんは来ないだろうとタカをくくって、恒例の七日町の夏祭り「サマー・フェスタ・イン・セヴン・デイズ・タウン(?)」(今年は21日の土曜日です。)のライヴのための練習を店でやっていました。
ところがどっこい中学・高校時代の同級生が次々に来店。誠にありがたいことではありますが、練習どころではありません。しばらくはバンド・メンバーをほったらかしにして営業に勤しみました。(笑)そうそう、久し振りに結婚式で帰省したT野君、2週間後くらいに北海道へ行くって言ってたから尾城君に連絡あると思うよ。(業務連絡でした。笑)
メンバーをほったらかしにしているのもナンなので、お酒とか作り終わった後、ちょっとBGM代わりにバンドの練習をしていたのですが、「相変わらず商売っ気がないなぁ。」という言葉を残して同級生たちは去って行きました。次の店にでも行ったのかもしれません。どうもごめんなさいね、またのお越しをお待ちしております。(笑)なんでも今年の10月に中学の同窓会があるようです。
その後、しばらく練習をした後、メンバーも帰っていったのですが、残ったナテっちと二人で昨夜TVで放映された「フェスティヴァル」というニュー・ポート・フォーク・フェスティヴァルのドキュメント映画を録画してもらっていたので観ました。1963年から65か66年までのフェスの模様が収められているのですが、フォーク・ミュージックが若者に人気があって公民権運動ともリンクしていた時代の貴重な記録になっています。
現在にも続く野外フェスの初期型とも言えるイベントだったわけですが(他にもジャズ・フェスもありました。)、時代的にまだアイビー・ルックの若者が多いのが興味深かったです。67年のモンタレーを経て69年にはあのウッドストックが行われる訳で、その時はもう長髪、髭、裸ですから。(笑)音楽的にもアコースティックなフォークやカントリー、ブルースから大音量のロックに変わっていく訳です。60年代という時代の急激な変化のほどが窺い知れます。
この映画にもボブ・ディランがアコギでのフォーク・スタイルからポール・バターフィールド・ブルース・バンドを従えたエレキ・サウンドでの演奏へと移り変わった時の映像が残されています。ディランのカリスマを備えたカッコ良さも時代のスターという感じですね。
ジョーン・バエズの可憐さ、PPMの思いの他アグレッシヴな演奏、ミシシッピジョン・ハートソニー・テリー&ブラウニー・マギー、ハウリン・ウルフサン・ハウスといったブルースマンの演奏シーンも楽しめました。
高校時代の僕にブルースを教えてくれたポール・バターフィールドのハーモニカ・プレーやマイケル・ブルームフィールドのブルース・ギターにも痺れました。当時はまだ黒人のブルースのレコードは少なくて、いわゆる白人ブルース(ロック)でその後の音楽人生の入り口に立ったばかりでしたから。そんな意味でもこの映画は刺激的なものでした。
今後何回でも見直すことになると思います。自分の音楽生活の一つの原点になりえる貴重な映画に違いありません。
ということで、写真は昨日書いたヤマハのフォ−ク・ギターFG-150。今度のライヴはコレでいこうと思います。さて弦を張り替えないと。「ギターをとって弦を張れ!」だ。(笑)