トム・ダウド

bearsmick2006-10-20

いつものような日だったので、今夜も酩酊爺さんからお借りしているDVD「トム・ダウド/いとしのレイラをミックスした男」という映画を観ていました。
このトム・ダウドさんは、レコーディング・エンジニアー&プロデューサーとしてとても有名で、僕が好きな音楽/ミュージシャンの仕事を多く手がけています。
偶然ですが、今日10月20日は、そのトム・ダウドさんの誕生日だそうです。残念ながら2002年の10月27日に亡くなってしまっているのですが、こうやってその業績を見直してみると、その才能は半端じゃなかったことがよく分かります。
音楽の才能だけじゃなく物理学や化学の才もあったトムさんは、その若さにもかかわらず、第二次世界大戦中、なんとあの「マンハッタン計画」といわれる原爆開発の仕事にも従事していたそうですが、戦後はコロンビア大学に復学することもなく(大学の学問は遅れているからとの理由で)、趣味でもあった音楽の道へと進んだそうです。
時は1950年代に入り、SPからEP、LPの時代に入ってきて、録音技術も進化してトムさんの技術者としての力が大いに役に立ったのだそうです。いち早くマルチ・チャンネルのミキサーを開発してのレコーディングは、アトランティック・レーベルの音楽の素晴らしさを世界に示すのに多いに役立ったことでした。
レイ・チャールズなど当時の関係者のインタビューもふんだんにあって、ある意味、歴史を学んでいるかのような楽しみもあったりします。後年サンタナでヒットしたティト・プエンテの「オエ・コモ・バ」もトムさんの仕事というのは新発見でした。
そうやって時代の流行の音楽にコミットしてきたトムさんを、僕が意識したのは、やっぱりロックの時代になってからです。(その後、後追いでスタックスなどのR&Bやソウルに目覚める訳ですが。)その代表的なアルバムが、例えばオールマン・ブラザース・バンドであったり、DVDのタイトルにもなっているデレク&ドミノス(エリック・クラプトン)の「いとしのレイラ」だったりする訳ですが、関係者と本人によるコメントを聞くだけでも、その幸せな邂逅(特にクラプトンとデュエインの)が窺い知れます。
 
ネット友達の日記で読んだのですが、今日20日は、偉大なるサザン・ロック・バンド「レーナード・スキナード」が飛行機事故にあった日でもあるそうです。(1977年のことでその直前の日本公演には行っています。)もちろんこのバンドもトムさんにプロデュースしてもらったバンドで、この映画にも出てきて生き残ったメンバーのコメントもあります。本当に偶然、今日この日にこの映画を観たのが不思議でなりません。
2002年に亡くなるまで、その時代の技術的進歩を吸収しつつ、新人ミュージシャンをもプロデュースしてきたトム・ダウドという天才を忘れることはないと思います。本当に僕が好きなミュージシャンとの仕事が多いのです。

映画の中のワン・シーンのトム・ダウドさん。着ているアトランティック・レーベルのマーク入り音楽シャツが素敵です。(僕も欲しい。笑)