お父さんは嬉しい!

bearsmick2005-11-09

やっとこの日がやって来ました。何がって?16歳の娘が「お父さん、どんとさんて良いね、CD持っているんでしょ、聴かせて。」と言ってきたのです。
ついこの前まで、オレンジ・レンジがどうのこうのと言っていたのに、ついに本物のロック・スピリットに開眼したのか!?と、ちょっと涙ものの私です。(笑)
もちろん店に置いてあるボ・ガンボスやどんとのCDをドサッと持って帰って来ましたよ。車の中でも聴けるように今日の昼間はCD−Rにも焼き焼きしていました。
ことの始まりは、先月のナオキ&ことんの結婚式で演奏しなくちゃならなかった、どんとの曲「波」を練習するため、家でCDを聴いていたことなのでしょう。その曲が入っているCD「ディープ・サウス」には、たくさんの良い曲が収録されています。限りなくデモに近い作品なのですが、だからこそ曲そのものの良さが分かるわけで、そこに純真な心を持った?若い娘が反応したのだと思います。
前にここでもちょっと書いた、カミさんが誕生日に歌って欲しいといった曲も実はどんとの「おめでとう」という歌なんですが、難しくてまだちゃんと歌えません。その歌は、今年の球磨ロックで、ナオキ&ことんの結婚祝いに大吾郎と東田トモヒロ君が歌ってくれたものなんです。その時の歌を娘は覚えていて、良い曲だと思っていたようです。その曲も「ディ−プ・サスス」に入っているので、今やすっかり娘の愛聴盤になっているようです。
ただ、「どんとはもう亡くなってしまったんだよ。」と言うと、すごくショックを受けたようでした。でも音楽は残されているので、いっぱい聴いて自分なりに吸収してくれたら良いなと思います。
思えば、最初にどんとを知ったのはローザ・ルクセンブルグがデビューする前、NHKの番組でした。細野晴臣さんが審査員をしていた番組でなんかの賞を取ったのを偶然見ていたわけでした。その後、発展的に解散してボ・ガンボスを結成した頃になると、面白いバンドだという評判が聞えて来て、日比谷のブルース・カーニヴァルかなんかの時に初めてライヴを観れたんだと思います。

メジャー・デビューはエピック・ソニーからで、付き合いがあった八木康夫さんがデザインとかで絡んでいたので、当時僕がやっていたサル・パラダイスのDJナイトにメンバーがやって来て、いきなりライヴをやったこともありました。
その後、どんと&Kyonとはニューオリンズのりのイベントを何回か一緒にやったこともありました。ボ・ガンボスは当時でも珍しいニューオリンズのりのビートで僕たちを楽しませてくれていました。ボ・デッドリーのコンサートにまだ小さかった娘を連れて行ったこともあり、その時もアンコールで上記の二人はステージに上がっていました。娘も見ているはずですが、さすがに覚えてはいないようです。
なにはともあれ、コマーシャルでもなくTVやラジオでもメッタに流れないけれど、しっかりとしたロック・スピリットに溢れた、どんと&ボ・ガンボスの曲に目覚めた?娘の感性に父親として喜びを隠すことは出来ませんでした。
最後に「私、恵まれているよね。だっていっぱいCDやレコードやヴィデオがあるもんね。」と言ってくれた娘に感謝します。(笑)
ボ・ガンボスの解散コンサートのヴィデオも繰り返し観ている娘です。「ホット・ホット・ガンボ」という京大西部講堂でのコンサートを収めたヴィデオも持っていたはずなんですが、何処に行ったのか見当たりません。誰かに貸したままなのかなぁ?心当たりの方はお知らせ下さい。(笑)