現在の自分への一歩、二歩・・・。その2

bearsmick2004-11-24

先日、B・ディラン「追憶のハイウェイ61」(ラジオで聞いたんですが、米ローリングストーン誌のロック楽曲ベスト50だか100だか500だかで、LIKE A ROLLING STONE が堂々1位を獲得したらしいです)とG・デッド「スカル&ローゼス」を取り上げたんですが、今回は同じく多感な高校生時代に影響を受けた日本のレコードを紹介したいと思います。

岡林信康「私を断罪せよ」です。
このレコードは1969年にURCから発表された岡林の1枚目に当たるんですが、当時まだ田舎のレコード屋さんでは扱っていなくて、大阪のURCへ手紙を書いて、現金書留での通販でゲットしたものです。
1969年というと高校に入ったばかりで、ようやくギターが少し弾けるようになった頃で練習で簡単なフォーク系の曲を爪弾いていました。このアルバムに入っている「山谷ブルース」のようなAm、Dm、E7とかの演歌っぽい暗い曲はかっこうの練習曲でしたね。なんせFみたいなバレーを使うコードがなかったからね。

このアルバムは69年7月4日に西岡たかし、中川イサト、ジャックスの面々などと一緒にレコーディングされたようなんですが、トム・パクストンやエリック・アンダーソン、ボブ・ディランの日本語カヴァーも含む所謂フォーク(アコースティック)ソングと「今日を越えて」やもろにディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」の影響が覗えるエレクトリックなフォーク・ロックの曲「それで自由になったのかい」が混在しています。当時、岡林は「フォークの神様」と奉られていて、オリジナルはフォークなプロテストソングが多かったんですが、ロック少年であった僕は圧倒的にフォーク・ロックな曲が好きでした。
翌70年には「見る前に跳べ」というアルバムを発表するんですが、これはバックにはっぴえんどを配しての完全フォーク・ロックのアルバムになっていました。

恥ずかしながら高2の頃、友人たちと「ラヴ・ジェネレーション」というバンドを組んで「今日を越えて」「それで自由になったのかい」「私たちの望むものは」の3曲を高校の予餞会(先輩を送る会)で歌ったことがあるのでした。一つ上の先輩にツネマツ・マサトシさん(元フリクション、EDPS)が居たんですが、「悪くはないけど、チューニングが狂ってたよ。」と言われたのもいい思い出です。

かっこいいジャケットは矢吹申彦さんで、表はアコギを抱える岡林で裏はエレキの岡林(色使いもサイケ入っています)という音・ジャケ一致のアルバムです。