ご期待に応えて・・・ボブズ・フィシュ・マーケット

bearsmick2005-01-21

いやぁ、昨夜の日倉士君、凄かった。演奏&歌も良かったんだけど、その後の飲みも凄かった。ついつられて僕まで飲みすぎちゃったもの。
おまけに凄いのが、前日、福岡で夕食にラーメン、夜食にチャンポンを食べたのにかかわらず、昨日も夕食にラーメン(人吉で有名な、とんでもない大盛りしかない好来ラーメン)そして飲みの仕上げに(午前3時)またラーメンと食べ続けてもOKなこと。でもさすがに「今日は、いいや」と言っていました。(笑)
その日倉士君がいたバンド、ボブズ・フィッシュ・マーケットは、尾城君が書いていたように何故か友人・知人が絡んでいてホント仲間内のバンドみたいな感じでしたね。
最初に会ったのはベースの吉田君(現在、バンブー・スタジオの社長さんらしい。ナミさんのバンドでもベースを弾いている)だったと思う。下北の「ぐ」に毎日のように通っていた頃、知り合って、それから他のメンバーとも知り合ったんでした。吉田君、「ぐ」の近くに住んでいたから部屋にもよく遊びに行っていたなぁ。オマケに大学の先輩でもあったんだよね。
ボブズは横浜の戸塚高校の同級生バンドから発展したそうで、夕焼けのケンちゃんも同級生。日倉士君は千葉の印旛沼ライ・クーダーと言われていて?、なんでも井の頭公園でギターを弾いているところを今は亡きバイオリン弾きのオコジ(喜多郎のバンドにいた僕の仲の良い友人だった)から、「君にピッタリのバンドがあるから」とナンパされてボブズに参加したそう。ヴォーカルの敦賀隆さんはその太く強い男っぽい声が素敵で、ザ・バンドのような土臭いドッシリとした骨太なロック・バンドでしたねボブズは。デビュー・アルバムをディレクションしたのは音楽評論家として有名だった、やはり下北に住んでいた小倉エージさんで、はっぴえんどのデビューと同じなんだよね。もう一人のギターのハッチとはあまり親しくなかったんだけど、ドラムの前田君は、当時、僕らの仲間内で人気のあったマドンナS木さんと結婚しちゃった。涙を流した男もいるそうな、ねっ、K君。そうそう、K君はその後ボブズが在籍したヴィクターのフライング・ドッグのスタッフになるんだよね。これも縁だよね。結婚といえば、吉田君も美人姉妹で有名だった姉の絹子さんと妹の麻子さんは当時、夕焼けのPAをやっていた小野ちゃんと結婚しちゃって僕らは悔しい思いをしたものでした。(苦笑)
僕とボブズは不思議な縁があり、北海道にいた頃にボブズも札幌に来て会ったし、大阪にいたらボブズも大阪でライヴをやっているし、という感じでついには、クルマの運転も出来ない僕が、なんとロード・マネージャーみたいな役になって一緒にクルマで中国・九州ツアーに出かけたこともありました。
ほんとうに良いバンドだったんですが、いかんせん時代はパンクからニュー・ウェイヴの時代に突入しつつあり、結局、アルバムを一枚出しただけで解散してしまったんです。
久保田麻琴さんのプロデュースで日倉士君は80年代後期にソロ・アルバムを出し、これまた縁があって、当時僕が青山でやっていたサル・パラダイスで発売記念ライヴをやりました。その後、なんやかんやでずーっとライヴのお付き合いをさせてもらっているのですが、これからも良い音楽を続けていって下さい。
吉田君と隆の二人のライヴも90年代に下北で見た覚えはあるのですが、最近の状況は定かではありません。(吉田君は分かりますが)僕の先輩にあたるミュージシャンたちです。末永く良い歌と演奏をやりつづけてもらいたいものです。