再再度、挑戦 「ウッドストック」

bearsmick2004-12-05

先日、アップ出来なかったやつに、またまた挑戦したいと思います。
まぁ、自分に青春時代を懐かしむといったものだったんですが、BLOGを始めて尾城君とまた密に連絡を取り合うようになったこととツネマツ・マサトシさんのつながりでちょっと盛り上がったことを受けての駄文です。よろしくお付き合いのほどを・・・。

僕が高校生(人吉高校、ジンコーと呼ばれてました)だった頃は、何故か文化祭は3年に一度しか行われていませんでした。で、1970年、2年生の時に文化祭にあたったわけで、ことの始まりは定かではないのですが、一つ上の先輩のツネマツさんと同級生のU君(尾城君)と僕の三人で「ロック・ハウス」みたいのをやろうということになったのです。そこで地学教室を借りて、ツネマツさんに写真のネガに引っ掻き画を描いてもらい、それをスライド・ショーにして(もちろん部屋は暗くして)、ガンガン、ロックをかけようということでした。当時はまだカセット・デッキも高価で出回っていなくて、オープン・リールのデッキもお金持ちの家にしかなかったのですが、お医者さんの息子のT君の家に押しかけてレコードから録音して使ったものでした。かんじんの音はというとビートルズボブ・ディラン、そして目玉は「ウッドストック」のサントラでした。

深夜ラジオや雑誌からの少ない情報で、ウッドストックというなんかとてつもない大イベントが行われたことは、田舎にも入ってきてはいたのですが、実情はサッパリでとにかく憧れと思いいればかりが膨らんでいたんだと思います。おまけにそのレコードは三枚組で¥4500もしたので当時の高校生にはちょっと手が出ないものでした。が、なんと尾城君は街のレコード屋さんに直談判して3ヶ月払いでゲットしてきたのです。(もっともその後彼のお母さんから、「そんなみっともないことはするんじゃない」と言われ、お金を出して貰ったらしいですが)

そんなわけで、大きな音で好きなロックを聴きながら、床に座って一つ下の女の子とビートルズ解散の話をしたりした記憶はあるのですが、青春小説のような展開は全くありませんでした。当時の僕たちは全くモテなかったんです、トホホ・・・。

ウッドストックの思い出と言えばもう一つ、日曜日の朝一回だけ映画が上映されるということで張り切って観にいったんですが、なんとザ・フーのシーンの後でプッツリ、あとのフィルムが届いていなかった、とそんなこともありました。田舎の高校生、別に怒りもせず残念と帰ったもんです。その後、東京に出てからは機会がある度に観ました。今じゃDVDもあるし僕のお宝の一つになっています。

ジョン・セバスチャンのシボリ染めの衣装に、リッチー・ヘヴンスのオープン・チューニングのギター&歌に、ジェリー・ガルシアのジョイントを持った笑顔に、ぶっ飛んだサンタナの演奏に、ジミ・ヘンのアメリカ国歌に、そして楽しそうな観客に、最後のシーンのゴミで出来たピース・サインに、その後の僕の人生は道標を出されてしまったのです。